おろし手記

ロシアサッカーとか料理とかいろいろ。メモみたいなもの

赤十字社の立場を見ながら「献血ポスター問題」を考察する

 

日本赤十字社が人気漫画「宇崎ちゃんは遊びたい!」とコラボレーションした献血キャンペーンが大きな話題になってますね。話題になってから半月も経ちますが、いまだに論争が絶えません。

www.tokyo-sports.co.jp

 

tr.twipple.jp

 

個人的な意見を言うと、さほど気にはしないのが正直なところで、ただ一つ言うならば「センパイ! まだ献血未経験なんスか? ひょっとして……注射が怖いんスか~?」のセリフが気になったくらいです。

街中にある広告を見たところで、さほど気にもしなければ、多少「あれ?」と思ったことでも「自分に関係ないことだから」「たまたま見てしまったものに表現で騒ぎだしても…」と割り切ってしまう性格なので、自分の主観はそれぐらいに抑えておこうかと思います。

血液事業から逆算して考える

ただ一つ気になったのは、こういった問題は事業主の立場から考えないといけないかと思っています。日本赤十字社献血について「病気やけがなどで輸血を必要としている患者さんの尊い生命を救うため、日本赤十字社では、16~69歳まで(※)の健康な方に献血のご協力をお願いしています。献血は、毎日稼働している献血バスと常設の施設で受け付けています」と公式サイトに説明しています。

www.jrc.or.jp

 

 同サイトでは「血液事業の現状とこれから」を題して、現状を説明しています。輸血用血液製剤は85%は50歳以上の高齢者に使用されているのに対して、献血していただいているのは75%が50歳未満の方々だそうです。少子高齢化社会が進むと、安定供給に支障がきたすとみられています。ほかのサイトによると「ここ10年で30%も減少している」そうですね。

なぜ漫画・アニメとコラボレーションを行うのか?

 

献血をしていただく方が減っている現状では、赤十字社少子高齢化社会に向けて対策を練らないといけません。「健康な方の血液が欲しい」という以上は、若い人にアプローチをしていかないといけないでしょう。

ただ、普段学校や仕事などと自宅へ通うだけの日常生活では、献血事業が自然と目に入っていくのか疑問に感じることがあります。人によっては学校や職場などで献血車が来てやっと献血の現場を知る人も多いかと思います。

人間が見えているものは、日常生活と自分の関係していることくらいだと思うので、生活の中で意識してないと、献血の存在は知っても「どこで献血やっているのか?」など見えなくても仕方ないでしょう。それにたまたま献血者を見たところで、体調がすぐれてなければ、献血を受けることはできません。

www.bs.jrc.or.jp

 

www.oricon.co.jp

献血事業の漫画・アニメへの進出は、赤十字社にとって「献血を知ってもらうアプローチ」だと考えられるでしょう。今の若い人たちがどこに集まっているのか?何が人気なのかを調査したうえで辿り着いたのが、コミケなどのイベントだったといえるでしょう。調べると同人イベントでの献血バスは20年くらいの歴史があるそうですね。

売れている作品にとっても、獲得したファンを献血へ誘導することで、コラボレーションすることで、社会貢献の意味も大きくなりますね。

問題になったのは「見つかった」から

 

今回、「宇崎ちゃんは遊びたい!」のコラボレーションが問題になったのは、赤十字社のこれまでのコラボレーションを見ていると、私は「見つかってしまった」というのが正直な感想です。

 

bunshun.jp

「宇崎ちゃん」のポスターが性的かどうかというよりも、むしろ赤十字社の過去のポスターもそういったものがあったので、今批判している層の目に入っていなかったのだろうと考えています。

今売れているコミックとのコラボレーションなら、本当に献血が目的でも、コラボグッズが目的でも、献血に来てもらう人が増えたらいいので、今がこの作品が選ばれるのであって、表現などの配慮に関しては、各ジャンルの年齢別レーティングに従って「大丈夫だろう」と決めたと思いますが、どうやら見られてしまったようです。

人の感情は人命の上に立つもの

さて、人命に関する根本的な話をしましょう。

 

www.jrc.or.jp

www.jrc.or.jp

 赤十字という組織は「人の命を尊重し、苦しみの中にいる者は、敵味方の区別なく救う」ことを目的としています。基本7原則として「人道」「公平」「中立」「独立」「奉仕」「単一」「世界性」を定めています。人道を守るためには、思想的な紛争には参加しない意志を示しており、同時に急を要する困苦を最優先としています。

kotobank.jp

対するフェミニズムは、デジタル大辞泉によると「女性の社会的、政治的、経済的権利を男性と同等にし、女性の能力や役割の発展を目ざす主張および運動。女権拡張論。女性解放論」「女性尊重主義」としています。

どういう人間であれ、人道を救うことを目的とする赤十字に対し、フェミニズムとは女性の立場を向上することを目的としていますね。思想的な紛争に参加せず、人道を救う立場である赤十字に対して、社会的な立場を得るために思想的な紛争を厭わないフェミニズムでは、前者を優先して考える必要性があります。フェミニズムの運動と同様、当然「オタク」趣味も命があって楽しめれるものです。

もちろん性犯罪から女性は守らないといけないですし、理不尽な男女差別には解消していくことは社会の課題と言えます。しかし、人の命がなければ思想も存在しないので、自分たちの思想や感情で押し通すのは、本末転倒でしょう。

「思想」は人を救えないが「物質」は人を救える

献血しに行く人がどのような性格・思想・趣味・性癖であっても、条件が合えば成立しますね。仮にいつも女性の権利を主張している活動家が条件に合わなければ、輸血を求めている女性は救済できません。逆にとんでもない女性差別者や、街中で卑猥な発言を繰り返すような人でも条件が合えば、輸血を求めている女性を救済することができます。

究極論になりますが、お気持ちと人命のどちらを優先するべきかという話になりますが、明らかに「人命」が優先されるべきでしょう。人命があってこそ、思想や感情が存在するものです。

赤十字社の立場、そして赤十字の向こう側にいる救済を求めている人の立場を第一として考えた場合、2週間も論争が繰り広げられている献血ポスター一つで「性的」「表現の自由」「公共性」という思想の対立などは、はっきり言えば個人個人の主観に過ぎず、誰のためにもならない話ではないでしょうか。

繰り広げられている論争のほとんどは赤十字の障害になる

「女性の気持ちを考えて」「公共性にそぐわない」「胸を強調するな」というフェミニストの発言に対して、「表現は守られなければならない」「人の好みで異なるもの」「三次元も下着姿の広告があるじゃないか」という発言が飛び交っていますね。

しかし、これは赤十字社の立場からすると、「思想」「好き嫌い」「趣向」といったものであって、「苦痛の度合いによって個人を救うことを優先する」といった方針である彼らからすると、私は迷惑がかかってしまうと感じますね。

公共性=レーティング

思想の紛争に参加しない・公平な立場にいることを赤十字が基本としている以上、おそらくコラボレーションにしても、フェミニストが主張するような「公共性」というものではなく、出版各社が定めるレーティングを基準としているかと思います。それに従わないと特定の思想に偏ってしまいます。

それに一人一人のお気持ちに沿ったものでは、赤十字社が広告を選ぶのが大変ですが、社会として決められたレーティングを基に選定するのは特に難しいことではなく、中立性は保てると考えられますね。

「作品ではなく広告として使うのがおかしい」という主張は多いですが、作品自体がレーティングに従っている以上、広告にもレーティングが存在しないと通用しません。

赤十字社は感情より人命ために動く

とはいえ、いくら人気のある作品だったとしても、アダルトコンテンツを広告に使っては、献血に来てもらえなくなることも考えられるでしょう。書店やレンタル店などで「18歳以上は立入禁止」のものを公共性がないと判断するのは、どのような思想の方でも大抵は理解できるでしょう。

ただ、レーティングに従って作製された献血ポスターを見ただけで、個人個人の感情が生命の危機にきたすようなことまでは、まず考えられないと思いますし、極端なことをいえば、あらゆる外的な影響により、思想や趣向などは簡単に変わってしまうものじゃないかと思います。お気持ちよりも優先されるべきことは赤十字社にはあるのです。同時に赤十字社は中立であり、赤十字社に感情や思想をぶつけるのは、赤十字社の立場を考えられていないといえるでしょう。

赤十字社のためになる発言をしよう

「宇崎ちゃん」がいいのかどうかは個々の好き嫌いで主張されてもいいと思います。

しかし、少子高齢化で血液不足の懸念がある現状では、赤十字社も売れている作品とのコラボレーションなどで、献血の認知をさせないといけないですし、仮にコラボグッズを目当てとしても、健康な人に献血してもらわないといけません。

この先、人工血液の開発が進み、献血の必要がなくなる世の中になれば、献血ポスター自体も必要としなくなり、献血ポスター自体もいらなくなるでしょう。しかし、献血が必要とする現状では、赤十字社の立場を立てて、彼らのために建設的な発言が理想的だと思います。